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イスラームの信仰:
神様の唯一性:



神様を知るには二つの方法がある。


1)心で知る方法

2)理屈、頭で知る方法


人間の心には、生まれつき備わっている本性として、四つの心がある。

1:好奇心

わからないこと、興味深いことに対して人は好奇心をもつ。

2:善を求める心

モラルを求める心であり、友情、公正を求める心を生む。

3:美を求める心

芸術を求める心である。

4:宗教心

人はみな本能的に、神を求める。目に見えない存在を求める気持ち、心と言い換えてもよい。社会の状況によって、この生来持っている心が弱くなることもあるが、消えてなくなるわけではない。恐怖にかられるとき、人はみな何かにすがる。

この心で知る方法は、他人に言葉で伝えられるものではない。自分で知る以外にない方法である。それに対して頭で知る方法は、他人に伝えることができるものである。

もっとも簡単な方法は、この世界の秩序そのものから、神様の存在を理解することである。

この世界は、極小の世界から極大の世界にいたるまで、ありとあらゆるものが決まった法則に基づき存在している。

この世界にある、存在しなかった状態から、存在するものになったものはすべて、原因を持つ。この原因と結果の法則は例外がない。

秩序、法則を持って存在するようになったものは、偶然存在するようになることはありえない。

私たちが存在しているこの世界は、例えば、この太陽系ひとつとってみても、いかにすばらしく精巧にできているか、人類の叡智が新しいことを発見するたびに、そのすばらしさに感嘆する。このようなすばらしい世界が偶然できたということがありえるだろうか?私たちは精巧な自動車、工業製品を見るとき、必ずそれを作った人がいると判断する。この世界が自動車よりも簡単にできているということが言えるだろうか?いや、そんなことはない。この世界はすばらしく複雑に、また精巧にできている。これを創ったすばらしい方がいるに違いない。その方が、いわゆる神様である。

では、神様とはいかなる方だろうか?神様はお一方だろうか、それともお二方以上いらっしゃるのだろうか?神様は二人以上いらっしゃるはずはない。なぜならば、私たちは神様がこの世界をお創りになった方である、と考えた。つまり、この世界を存在するものとされた「原因」である。この「原因」たる存在は、他の「原因」の結果ではありえない。もしも神様が二人いると考えたならば、第一の神様と第二の神様には、何らかの違いが存在する。そうするとそれぞれの神様は二つの部分から成り立っていることになる。お互いに共通する点の部分と異なる点の部分の二つの部分から。そうなると、その存在を自分の二つの部分に負っている存在が神様ということになり、それは究極の「原因」たる神様が、結果でもあるということになるので考えられない。

以上のことから、神様は唯一無二の方であることがわかる。また、神様の本質と様々な性質は一体のものであって、分けて考えることはできない。神様は、本質、様々な性質全てが存在そのものである。それは神様をこの部分、その部分と分けることができないからである。また、全ての出来事は突き詰めて原因を追究していくと、その究極の原因は神様である。それで神様だけが拝むに値する存在である。

神様はあらゆる完全さを兼ね備えた方であり、あらゆる不完全さから離れた方である。つまり生きておられ、あらゆる知識を持っておられ、力を持ち、全てを見聞きされ、叡智をお持ちの方、また他の何者にも依存されない方であられる。神様は、物質ではありえず、どこかの場所を占有されるということがない。もしも、どこかの場所にいれば、他の場所にはいないことになるからである。神様をこの「目」で見ることもかなわない。神様を感じるのは、心の目である。

神様は公正な方、正義を貫かれる方である。神様は預言者たちを通して、人類に守るべき戒律を示された。それは、公正なものであり、審判の日にも公正な裁きを行われる。またこの世界は、バランスがうまく取れるように創られている。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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